下野薬師寺跡(国史跡)

下野薬師寺跡

下野薬師寺は、7世紀末に下毛野朝臣古麻呂(しもつけのあそこんこまろ)によって創建されたと推定されます。8世紀中頃には、僧に得度をさせるための戒壇が朝廷によって設けられました。 奈良東大寺(奈良県奈良市)・筑紫観世音寺(福岡県太宰府市)とともに日本三大戒壇とされ、東国における仏教の中心地となりました。

下野薬師寺跡ふるさと歴史の広場

現在、史跡公園として整備され、下野薬師寺の回廊の北西角が復元され史跡下野薬師寺跡ふるさと歴史の広場として公開されています。
この写真は南側から見た回廊で、下の写真は東側から見たところです。

回廊

最盛期の薬師寺の寺域は、東西約245m・南北約343mにおよぶとされています。これまでの発掘調査では、南門・中門・金堂・講堂が南北一直線に配置されている大和薬師寺式伽藍配置 であることがわかり、中門と講堂とをつなぐ回廊や塔の存在が明らかになっていましたが、最近の発掘調査の成果からは、これまで考えられていた伽藍配置とは異なる可能性もあるそうです。

六角堂

六角堂

江戸時代に往時の戒壇を偲んで建立されたものです。外形・柱・礎のすべてが六角形という珍しい建築物です。

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