﻿<?xml version="1.0"?>
<rss version="2.0">
	<channel>
		<title>国分寺　栃木県下野市</title>
		<link>http://www.tenpyou.net/</link>
		<description>国分寺について</description>
		<language>ja</language>
		<pubDate>Mon, 1 Jan 1 00:00:00 +0900</pubDate>
		<lastBuildDate>Tue, 24 Apr 2012 08:39:53 +0900</lastBuildDate>
		<item>
			<title>下野薬師寺跡（国史跡）</title>
			<link>http://www.tenpyou.net/yakusiji.html</link>
			<description><![CDATA[
下野薬師寺跡（国史跡）下野薬師寺跡下野薬師寺は、7世紀末に下毛野朝臣古麻呂（しもつけのあそこんこまろ）によって創建されたと推定されます。8世紀中頃には、僧に得度をさせるための戒壇が朝廷によって設けられました。奈良東大寺（奈良県奈良市）・筑紫観世音寺（福岡県太宰府市）とともに日本三大戒壇とされ、東国における仏教の中心地となりました。下野薬師寺跡ふるさと歴史の広場現在、史跡公園として整備され、下野薬師寺の回廊の北西角が復元され史跡下野薬師寺跡ふるさと歴史の広場として公開されています。この写真は南側から見た回廊で、下の写真は東側から見たところです。回廊最盛期の薬師寺の寺域は、東西約245m・南北約343mにおよぶとされています。これまでの発掘調査では、南門・中門・金堂・講堂が南北一直線に配置されている大和薬師寺式伽藍配置であることがわかり、中門と講堂とをつなぐ回廊や塔の存在が明らかになっていましたが、最近の発掘調査の成果からは、これまで考えられていた伽藍配置とは異なる可能性もあるそうです。六角堂六角堂江戸時代に往時の戒壇を偲んで建立されたものです。外形・柱・礎のすべてが六角形という珍しい建築物です。
			]]></description>
			<pubDate>Wed, 24 Aug 2011 16:56:25 +0900</pubDate>
			<guid isPermaLink="true">http://www.tenpyou.net/yakusiji.html</guid>
		</item>
		<item>
			<title>下野国庁跡資料館</title>
			<link>http://www.tenpyou.net/siryoukan.html</link>
			<description><![CDATA[
下野国庁跡資料館資料館入り口国庁がどんな所かを理解するための手助けとして、発掘調査の出土品や前殿・脇殿の位置と大きさを確認した時の写真などを展示しています。　　　　開館時間 9:30〜16：30休館日　 月・火曜日　年末年始（12月25日〜1月7日）入館料　 無料復元模型下野国庁跡復元模型です。縮尺は80分の1です。前殿模型下野国庁跡にある前殿の模型です。こんな人も下野国司でした�伴義男（とものよしお）守849（嘉洋2）任命　応天門の変（866）で有名。「参議右代弁」という重職と兼務なので実際に下野国に来た可能性は少ない。出土品写真のように出土品などが展示されています。こんな人も下野国司でした�藤原道真（すがわらのみちざね）権少じょう867（貞観9）任命　「学問の神様」と言われる学者出身の政治家。右大臣にまで出世するが、晩年大宰府に左遷される。国庁の仕事国庁での仕事を分かりやすいように、図で説明しています。こんな人も下野国司でした�藤原秀郷（ふじわらのひでさと）守940（天慶3）任命　平将門の乱を平定した功績で下野の地方豪族から一躍下野守に出世する。　　　　表藤太（たわらのとうた）とも呼ばれた。 
			]]></description>
			<pubDate>Wed, 24 Aug 2011 16:55:39 +0900</pubDate>
			<guid isPermaLink="true">http://www.tenpyou.net/siryoukan.html</guid>
		</item>
		<item>
			<title>下野国庁跡（国史跡）</title>
			<link>http://www.tenpyou.net/kokuchou.html</link>
			<description><![CDATA[
下野国庁跡（国史跡）下野国庁跡案内板国庁は、国庁を中心とした古代の地方の官庁街といった地域です。下野国庁は、律令制下（奈良・平安時代）における地方統制の中核として設置された役所であり、同時に政治・経済・交易等のいわば下野の国の古代文化を集約する唯一の地方拠点でした。前殿国庁域内の中央にあり、国府の役人が朝賀や元旦の儀式などを行った施設です。復元建物は奈良時代後期のもので、材料は檜を用いています。規模は東西約24.9m・南北約8.3m・高さ約6.3m東脇殿　　　　ここに建てられている藤棚は、奈良時代後期の東脇殿の一部について柱の位置・太さ・軒の高さを復元しながら製作したものです。建物の北部は官目神社境内となるため、柱の位置のみ表示になってます。西脇殿最大な南北棟の建物であり、国府の役人が事務を行った施設です。東側に建てられた同規模の東脇殿とは、前殿を中心に東西対称の位置関係になってます。
			]]></description>
			<pubDate>Wed, 24 Aug 2011 16:54:56 +0900</pubDate>
			<guid isPermaLink="true">http://www.tenpyou.net/kokuchou.html</guid>
		</item>
		<item>
			<title>摩利支天塚古墳</title>
			<link>http://www.tenpyou.net/mari.html</link>
			<description><![CDATA[
摩利支天塚古墳（国史跡）摩利支天塚古墳案内摩利支天塚古墳は、隣接する琵琶塚古墳とともに県内で最大の規模を誇る大形の前方後円墳です。このような巨大な古墳の被葬者は、大和主権による支配体制の中で下毛野国（しもつけぬのくに）をはじめて統括した大首長であったと考えられています。この古墳は5世紀から6世紀初頭に築造されたと推定されます。入り口ここから入り口になります。墳丘上には、円筒埴輪が列を成して存在していました。これらの埴輪や古墳の形状などから、この古墳の築造年代は、5世紀末から6世紀初頭と推定されています。階段このような階段を登り奥に進んでいきます。だいたい10段〜30段の階段が3ヶ所あります。摩利支天社前方後円墳の後円部です。奥に見えるのが後半になって祭られた摩利支天社です。墳形 	前方後円墳 	全長約117m前方部 	幅約75m 	高さ約7m後円部 	直径約70m 	高さ約10m
			]]></description>
			<pubDate>Wed, 24 Aug 2011 16:54:00 +0900</pubDate>
			<guid isPermaLink="true">http://www.tenpyou.net/mari.html</guid>
		</item>
		<item>
			<title>琵琶塚古墳（国史跡）</title>
			<link>http://www.tenpyou.net/biwatuka.html</link>
			<description><![CDATA[
琵琶塚古墳（国史跡）琵琶塚古墳案内琵琶塚古墳は県内最大の前方後円墳です。古墳の形状や出土した円筒埴輪などから、隣接する摩利支天古墳に次いで、6世紀の前半に築造されたものと考えられます。墳丘は、自然地形の地ぶくれを利用して基壇を設け、さらに2段の土盛をすることによって構築されています。外から見た写真外から見たところです。あの林の中に古墳があります。丸太の階段写真は見ずらいですが、奥に見える丸太の階段を登ってきました。ここの階段はこの1ヵ所だけです。後円部琵琶塚古墳をはじめとし、思川、姿川の川筋には、強大な首長が葬られたと思われる大形古墳が散在しています。この地域は、遠く大和朝廷の時代に、下毛野国（しもつけぬのくに）を代表する首長達の活躍の舞台となったことがうかがわれます。墳形 	前方後円墳 	全長123.1m前方部 	幅64m 	高さ8.5m後円部 	直径74.2mｍ 	高さ11m
			]]></description>
			<pubDate>Wed, 24 Aug 2011 16:52:57 +0900</pubDate>
			<guid isPermaLink="true">http://www.tenpyou.net/biwatuka.html</guid>
		</item>
	</channel>
</rss>

