下野国分寺跡(国史跡)
国分寺跡案内
かねて厚く仏教を信仰していた聖武天皇が鎮護国家の思想によって政治や社会の不安をしずめる為、741年2月、国ごとに国分寺と 国分尼寺を建立するようにという国分寺建立の詔によって造営されました。国分寺は金光明四天王護国乃寺
(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)といい僧20人置かれていました。
塔跡
塔跡です。この塔は基壇の規模から、七重塔であったと推測されます。しもつけ風土記の丘資料館では、この七重塔の模型が展示されています。
塔跡上
塔跡を上がった所です。ここに七重塔があったと考えられています。下野国分寺は、奈良の東大寺と同様の伽藍配置です。
中門跡
現在、平地林・畑地・宅地になっていて、主な建物跡は平地林の地下に埋もれています。これまでの調査によって、堂塔は南大門・中門・金堂・講堂が一直線上に並ぶ東大寺式伽藍配置 で、回廊は中門の間の東方に、鐘楼・経蔵は金堂と講堂の間の東西に配置されています。場所は写真のように、位置が示されています。