国分寺同様741年に聖武天皇は、仏教の力で政治不安や疫病の流行を鎮め国家の平安を守ろうと、全国に国分建立の詔を出しました。結果、建設されたのが全国68ヵ所の官立の国分寺。
国分尼寺は法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)といい、10人の尼が置かれ、国家鎮護の拠点として大いに栄えました。
寺地の選定にあたって、国華(国の名誉)であるから、必ず好処を選んで建立するように命じていました。下野国の場合は、現在の下野市が選ばれました。ここは、平坦な台地上にあって水害の危険がない、という理由だと言われています。下野国分寺跡と下野国分尼寺跡は、しもつけ風土記の丘資料館を挟んで、東西600mほど隔てて対峙しています。
史跡公園として整備されているので、自由に散策することが出来ます。基本的には、国分寺の規模を縮小したものですが、塔は建立されていませんでした。
尼寺の基本経典は妙法蓮華経でした。塔はないものの、講堂の奥に尼房があり、僧寺と同じ伽藍配置でした。伽藍地は、東西約132m・南北約250mと、国分寺よりひとまわり小さいサイズでした。現在は国分尼寺公園として、主要伽藍の基壇と基礎が復元されています。
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